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秩序のとれた海 例えば君とふたりで
大講義室は半分、眠りの海に沈んでいる。教壇の上の老教授は意に介す様子もなく、淡々としゃべりつづけている。
『Calm』という題のインスタレーションをつくってみたい。このままこの部屋をガラスに閉じ込めて。
そんなことをぼんやりと考えつつノートをとっていると、空間を支配していた深い沈黙がいたくのんきな旋律に破られた。
電子音を追い、なんだっけと思い、それが『HAPPY BIRTHDAY』だと気づくまでに数秒。
あまりに場にそぐわない、軽やかに流れつづける音楽のほうに目をやる。
僕の斜め一列前で男子学生が弁当箱をひろげている。
……いったいぜんたい。
その背中は丸まるでもなく申し訳なさそうにもじもじするでもなく、ごくごくあっけらかんと言ってのけた。
「すみませーん!弁当箱にかーちゃんの愛が仕込まれていましたー!」
老教授の声より朗々と響くその声に、どっと笑いが起きた。
壇上の教授も苦笑をうかべ「愛はしまっておけー」という。
また、笑いが起きる。
その学生がふたを閉めると、メロディーがやむ。おそらく、光に反応してオルゴール音が鳴るカードでもはいっていたのか、そんなところだろう。

また、講義室が沸いた。
はっとして先ほどまでの旋律から意識を引きあげる。どうやら、15分早く授業が切り上げられたらしい。
ぞろぞろと教室を出ていく姿にすっかり後れをとって、ぼんやりと腰かけたままでいると不意に「ほら」と目の前に行儀わるい箸の突き刺さった卵焼きが差し出された。
「……え?」
「そんなに物欲しそうに弁当を眺められたら食うものも食えねー」
「いや、あの……」
「はい、いーよ、あとふた切れあるから」
引くに引けない。手のひらを上に、そろそろと差し出す。が、卵焼きは僕の手のひらに着地しない。
唇のあたりでひょこひょこと動きつづけている黄色はぽかん、と開いたままだった口に放り込まれた。
「……おいしい」
もぐもぐと咀嚼している口が勝手に感想を述べていた。
「な?うちのかーちゃん、卵焼きが天才的にうまいの」
『うまい』は『上手い』か『旨い』か判断しかねていると、「何年?」と訊かれた。
「2年……、です」
『です』をつけたのは相手が僕より年上にみえたからで、案の定彼は「俺3年」といった。
「一浪一留してるから、たぶん3つ上」というどうでもいい情報がそのあとにつづいた。
「……そうですか」
「あ、きょう誕生日だから4つかな。お前、誕生日いつ?」
「きょう、です」
相手が目を眇めるので学生証を差し出した。生年月日が記されている。
「おー…、じゃあ、お前にも」
もういちど、弁当箱のふたが開かれると同時に、流れ出すメロディー。
「うわわ、感動した?」
「……いや、特には」
「またまた、泣いてるくせに」
「……はい?」
慌てて頬に手をやると、生ぬるい水が伝っている。黙って拭い、かばんを手に立ち上がった。
「じゃあ、つぎの講義があるので。卵焼き、ありがとうございました」
ちょっと待ってと言われ、なにやらさらさらと書きつけている頭をみながら、一飯の恩義を感じた僕の足は所在なく止まってしまう。
「はい、俺の電話番号」
受けとってしばしの間ぽかんとしていると、「誕生祝いしよーぜ」と相手はにかっとわらった。
「『かーちゃん』はいいんですか?」
コミュニケーションに長けているとは決していえない僕でも、そのくらいは気になった。
「いいのいいの、きょう夜勤でかえってこないし。弁当にメロディーカード仕込まれたし」
断る、という選択肢。を、考えなかったわけではない僕は、それでも「講義がおわったら電話します」と言っていた。

僕の二十歳の誕生日のこと。
ひとり暮らしのマイノリティは、卵焼きの恩人が常連の居酒屋で全客からハッピーバースデーをうたわれる、という人生で最もサプライジングなバースデーをむかえた。

それから、十余年になる。
斜め前方一列の先輩を『トリさん』と呼ぶようになり、トリさんに「すきだ」といわれ、僕はトリさんのすきな卵焼きをつくれるようになった。
メロディーカードを弁当箱のふたの裏側に両面テープで張りつけた。
トリさんは、まだ眠っている。ぜんぶ、愛している。
―……ハッピーバースデー、僕ら。

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【2017/04/12 09:05】 | お題SS。
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