秩序のとれた海 例えば君とふたりで
その日の晩の炊き出しは、ごわごわした米飯と薄い肉のスープだった。
いままでなら、スープからきれいに肉だけを除いて食べていた。食べ残しはとなりのテントに暮らす家族の子にあげていた。
ベジタリアン、菜食主義。懐かしいことばを守りつづけるほうが、苦痛だった。コミュニティの亡霊に縛りつづけられることが。生まれて初めて口にした食べ物は、ひどい臭いがした。それでも噛み砕いて飲み込んだ。吐きそうになりながら、食器を戻しにいった。

毎朝、『恩寵』に祈りをささげるのも、やめた。神さまなんてどこにもいない。恩寵なんて、どこにもない。テントの壁にチョークで描いた簡素な『感謝のことば』を手のひらで擦って消した。
雨に祈りを、日差しに感謝を捧げること。毎晩、コミュニティで歌い継がれていた唄をうたってから眠ること。いろいろな、コミュニティの慣習。ひとつずつ、やめていった。
そのたびに、ぼくのなかであのコミュニティが生き絶えていった。

ぼくが壊れていくのを、別のぼくがどこかからじっと見ていた。そして、レンズ越しにあの名瀬、という戦場カメラマンも。ぼくより、ずっとつらそうな顔をしていた。そんな顔をするなら、取材をやめればいいのに。

コミュニティで、絶対に絶対に『してはならない』こととされていた、自ら命を絶つ行為。それだけを考え続けた。なにもない世界。こんなところに、生きている価値なんて、ない。ただ、残念なことに、ぼくはなにをどうすれば自分が死ねるのか、わからなかった。だから、訊いた。

「あの、死にかた、って知ってます?」
「は?」
「自分で死にたいときに、どうやったら死ねるのか、知ってますか?」
呆気にとられた表情の名瀬さんは、まじまじとぼくを見た。
「きみ、死にたい…の?」
「あたりまえじゃないですか!」
悲鳴のように叫んでいた。
「コミュニティがなくなって、帰る場所を奪われて…信じられなくて、なにも信じられなくて……、これから先、どうなるのかも、どうすればいいのかも…わからなくて……、ずっと信じていたものも捨てて、ぼくが壊れて…」
ひどい眩暈がする。倒れそうになったぼくを名瀬さんが抱きとめた。そのまま、ぼくをテントの隅まで運ぶ。しばらく、重い沈黙が流れた。
「絶望が」
名瀬さんが言う。
「絶望が、希望を照らすことがあると、俺は信じたい」
それから、名瀬さんは話してくれた。彼の、妹の物語。長い長い話だった。最後、名瀬さんの妹さんは、自ら命を絶った。
「毎日毎日、考えたよ。俺も死のうと思ったよ。だけど」
つぎの名瀬さんのことばが祈りのようにぼくの心にしんと沁みた。
「生まれてきた、ってことは、どんなことがあっても、なにもなくても、少なくとも生きることは赦されてる、ってことだよ」
悲しくはなかった。ひたひたと胸の内を潮のように水が満たし、それが波になって溢れたようだった。声をあげて泣いた。コミュニティが消えたあの日から、ずっと泣くことなんてなかったのに。名瀬さんは、黙ってぼくの頭をずっと撫ぜていた。その手のひらが、小菊姉さんを思い出させて、つぎからつぎから涙が溢れた。

ぼくが泣き疲れて膝に顔を埋めると、名瀬さんが正面に回りこむ気配がした。
「風埜」
呼ばれて顔をあげる。次の瞬間、ぼくは名瀬さんの腕の中にいた。
「風埜…、つらいなぁ…」
また涙が零れそうになるのを押し留め、ぼくは名瀬さんの背に手を回した。名瀬さんがちょっと身じろぎした。あたたかい。名瀬さんは、そしてぼくは、生きている。ぼくも名瀬さんみたいになれますか、と、ぼくは訊いた。いつか、絶望が希望を照らすことがあると、心から信じられますか、と。
ぼくは名瀬さんを見上げた。そんな目で見られると困る、と、彼は言った。
困ってください、と、ぼくは言った。

名瀬さんの耳元で、彼を身体の奥深くに感じながら、何度も名瀬さんの名を呼んだ。行為の感覚は、帰る場所がなくなった、あのときの心許ない感じによく似ていたから。名瀬さんも、幻のように消えてしまいそうだったから。絶望の溢れる心のなかで、あと何度、ぼくは希望を信じられるだろうか。

外に出る。夜が明けようとしていた。名瀬さんは眠っている。テントを後に、ぼくは歩きだす。ときどき、木の実を取りに行く森があった。なぜだか、無性にそこに行きたかった。
雑草を、すっかり葉を落とした灌木をかき分けていると、ぽっかりと開けた場所に出た。空が見える。暁の光が低く、影を投げかけていた。走り出していた。
光の中に跪き、手を組み、目を閉じた。
『恩寵』。
あのことばが、聞こえた気がした。

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【2017/04/20 07:30】 | お題SS。
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