秩序のとれた海 例えば君とふたりで
県立博物館で開催されている古生代展のチケットを、同僚からもらった。
ことを、実秋が思いだしたのは約束も予定もない日曜日の昼下がりだった。時間だけはたっぷりある。考えたくないことばかりが去来する脳をもてあましていたので、アパート最寄りのバス停まで歩いた。
強い日差しがくっきりと地面に影を落とす。ゆらゆら陽炎のなかにあるそれは、まるで『死』そのもののようだ。生きることと死ぬこと。
表裏一体の裏側に、予兆も理由も原因も言い訳もなにもないまま逝ってしまったひとのことをまた思いだしそうになる。繰り返しても、どれだけ繰り返しても、記憶も物思いも摩耗をしらない。

博物館の入り口でチケットをもいでもらう。
展示室までの廊下が延びている。靴音はひとつだけ。ペアチケットのもう一枚をどうすればいいのか思案しながら、廊下の奥にふと目をやった。
信じられないものをみたとき、ひとは「信じられない」と瞬時にはおもわない、ようだ。
「……わたる」
死んだはずの恋人が展示室のほうから歩いてくる。

信じられないものをみたとき、ひとがおもうのは「どうして」である、ようだ。
どうして、ここに、渉が。空気がのどにまとわりついて、名を呼んだあとに、なにも言えない。
行き場のないペアチケット、古生代から連れられてきた展示物がつくりだす時空のひずみ、博物館の持つ力。
そんなこんながまじりあって、呼びあって。
でも、まさか、そんな。
あんなに会いたかったときに、会えなかったのに。
どれだけ呼んでも、届きはしなかったのに。

「みあき」

博物館の廊下になつかしい声が、もう「なつかしい」とおもってしまう声が、ひびいた。好きだった、呼ばれかた。
接着剤で薄っぺらい絨毯に縫い付けられていたようになっていた足が、その声でほどけた。
ゆっくり歩み寄った。駈け寄ったら、消えてしまいそうだった。

「みあき、ごめんな」
恋人の声に首を振った。手を伸ばし、にぎりしめた。それなのに、遠い存在だということがわかった。
渉が死んでから、はじめて、「遠い」とおもった。
もう遠い。もう届かない。この機会を逃してしまえば。
「なんか俺、もう、疲れきって、て」
「うん」
「実秋」
「なに?」
「すきだったよ」
「うん、すきだよ」
なんども交わした言葉。最後に交わす、繰り返していた、『いつも』。
ずっと続くと信じていた。途切れながら、かすれながら、それでも続くと、続いていくと。

「ばかだな、死んだりして」
「うん、ばかだね」

するりと、手が離れた。恋人はわらった。ひさしぶりにみた、笑顔だった。
この笑顔を見せることがなくなっていたことに、なぜ、もっと早く。
「また生まれてくるよ」
「そうだね」
「もう会えないけど、また生まれるから」
肩をぶつけるようにして歩きだした恋人は、博物館の出口を目指す。
よかったな、とおもった。やっと、出口をみつけたんだな、もう、大丈夫なんだな。

彼がこんど生まれてくるときは。
俺のものにならなくていい、ならなくていいから、もっといいやつに出会えますように。
そして。お前のしあわせを、心から願える俺になれますように、どうか、どうか。
逆光に振り返った影に手を振った。聞け、届け、これが俺のさよならなんだよ、わかるか?

どれだけ手を振っていただろう。
なにもなかったような顔の廊下に背を向けて、博物館の展示室にむかった。
何気なくポケットに手を突っ込んだとき、そこで所在なさげにしていたペアチケットの片割れがいなくなっていることに気づいた。
ガラスケースのなかの化石が、涙で渦になった。
化石が、ささやいていた。しあわせだったかと。
心から言える、ほんとうにいえる、しあわせだったと。ありがとう、と。
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【2017/08/09 12:40】 | お題SS。
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